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◆森下 一徹◆

 広島・長崎の被爆者は、第二次世界大戦末期の戦争行為の中で、アメリカ軍により世界で初めて核兵器の攻撃を受け、その未曾有の被害から生き残った人間である。
 核兵器は、老人、子供、父母、兄妹、神仏にさえ別れを告げることもできず、死の予感さえも与えられず、瞬間的に人間を死に至らしめた。さらに生き残ったものは、距離と時間によって放射能の影響をそれぞれに受け、半世紀をすぎた今でもその後遺症に苦しんでいる。
 原爆は人間の「生」のあらゆる側面に影響を与えたといわれるが。被爆者の人間として失ったものを一つひとつ取り戻していく姿は、強靭で美しく、人間の尊厳を見る思いがした。
 1955年原水爆禁止世界大会が開かれた時、壇上での被爆者の第一声は「生きていて良かった」であった。戦後の10年間は報道規制もあって、充分な救援も受けられず、様々な差別を受け、生きる望みさえ失いかけていた被爆者は、核兵器を無くすことへ自分達の生きる意味を悟り、その時から、核兵器の廃絶に向かって歩み始めたのである。
 広島の慰霊碑には「やすらかに眠って下さい 過ちは二度と繰り返しませぬから」と書いてある。これは、被爆者が原爆で亡くなった人たちに対し、日本国家が引き起こした戦争に、自分達も加担し原爆を使用させてしまったことを悔やみ、過ちを二度と繰り返させない決意だ。
 被爆者は、ひとりでも多くの被爆者が生きている間に、一日も早く核兵器を無くすことを、「原爆で亡くなった者への約束だ」として、今日も生き抜いている。

プロフィール
1939年 東京目黒生まれ。
1962年 東京総合写真専門学校卒業。
1964年 初めて被爆者と会い、以降録り続ける。
1978年 第一回国連軍縮特別総会(SSDI−I)取材及び写真展。
1979年 写真展「被爆者」広島。引き続き国内外で展示会始まる。
1981年 ソ連邦60周年記念国際芸術写真コンテスト「人間と平和」で「被爆者」がグランプリを受賞。
1982年 SSD=U取材5月写真展「100万人のうねり」日本青年館で展示、11月広島平和文化センターで展示。
1983年 グラハム財団 富永さんの「目」永久保存。
アリゾナ州立大学「被爆者」6点 永久保存。
1990年 東京銀座で片岡 修、高間 豊と「三人三様展」。
<著書> 写真集「被爆者」自費出版、記録写真「被爆者」ほるぷ、深沢一夫共著「遺品は語る」汐文社、安斎育郎共著「地球非核宣言」水曜社、岩垂 弘共著「ねこそれぞれ」同時代社、「被爆者たち」小峰書店、塚田一敏共著「古民家」同時代社。

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