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 2005年 ↓
<原爆60年>米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝
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  <原爆60年>米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝

 【オークリッジ國枝すみれ】

米テネシー州オークリッジで16日、原爆開発60周年記念イベントが開かれ、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれた原爆開発製造計画に関与した研究者らと家族約70人が参加した。参加者のほとんどが「原爆投下は戦争終結のため必要だった」と話し、「原爆」に対する日本人との溝の深さを感じさせた。
 オークリッジは広島に落とされた原爆に使用されたウランを分離・濃縮した工場があり、プルトニウムを生産したワシントン州ハンフォードや、原爆の設計製造を担ったニューメキシコ州のロスアラモスなどと共に、マンハッタン計画の中核となった。

 アラバマ州の医師リチャード・シェパードさん(79)は45年春からオークリッジの工場で働いた。「原爆投下のニュースを聞き、戦争が終わったとほっとした。投下しなければ、もっと多くの米兵と日本人が死んだ」と話した。シェパードさんは海軍から同工場に派遣されたが、訓練で一緒だった友人はほとんど戦死したという。
 レセプション会場では、日本の報道陣を意識したかのように、1人の女性が立ち上がり、「亡くなった父は原爆の開発をしたことに誇りを持っていました。罪の意識や後悔は感じていませんでした」と発言。大きな拍手を浴びた。この町の人々は、日本人が繰り返し、原爆の罪を主張し続けることに大きないらだちを感じ続けているという。

 原爆投下を正しいとする見方は、核開発の歴史と共に歩んできたオークリッジ市民の意見でもある。原爆開発に携わった自分たちの歴史と照らし、「原爆の正当化」はどうしても譲れない点なのだろう。核兵器を製造保管するY―12施設で働く研究者、レイ・スミスさんも、「原爆は町を破壊し、死者を出したが、恐ろしい殺し合いを終わらせた。戦争終結の役割を担ったことを誇りに思う」とまで語った。

 原爆開発計画は極秘だったため、オークリッジは49年までは地図にも存在しない「秘密」の町だった。郵便物の住所は別の町になっていた。「口が軽ければ、船が沈む」。町に住む7万5000人の研究者たちはウランという言葉を使うことも、勤務地を話題にすることも禁じられた。マンハッタン・プロジェクト歴史保存会のマイケル・ビッキオ代表は、「原爆開発の重要な歴史を保存したい」と話した。この町に、キノコ雲の下の惨状への思いは感じられなかった。
(毎日新聞) - 6月17日23時27分更新


 

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